前回記事の最後
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「じゃあ”正解”とはどう定義づけるか?」に立ち戻ったその時ーー
1人じゃ閃かない興味深い考え方
が浮かんだのです!
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からの続きになります。頑張って文字だけで伝えてみますね!
まず改めての大前提は
「”正解”というものは存在しない」
「”正しい””解答”はない」
ということです。
「すべて”正解”」
という表現でも近しい感じがしますが…微妙に違うんですよね…。
多くの人に伝える時は
・間違っている人は誰もいないんだから、1人ひとり違ってOK
・世の中に”正解”なんて正直ないんだから、すべて正解なんです
という表現をするかもしれませんが、まずこれがそもそも”正解”というものに対する
位置づけです。そしてここからが本番です。
”正解”という言葉をどう定義づけるか?
つまりAさんが「空は青いなぁ」と思っていれば…
Aさんが「1たす1は2」と思っていれば…
・Aさんにとって「空は青い」というのは”正解”
・Aさんにとって「1たす1は2」というのは”正解”
という表現になります。
ではこの表現を
Aさんにとっては「空は青い」というのは” ”
Aさんにとって「1たす1は2」というのは” ”
つまり元々”正解”と表現していた” ”をなんと置き換えたら良さそうか
というのが今回のお題です!
”正解” = ” ”
現時点で僕が定義づけたのは
その人の時間軸と空間軸がクロスしている交点において
その人が「確かにそうだ」と思えること
これが”正解”という言葉の定義としました。
時間軸というのは、過去・現在・未来の軸。
もう少し丁寧に書くと、過去の経験・現在の状況・未来見据えているもの
という意味で使っています。
そして空間軸というのは、いま現時点においてどんなシチュエーションで
誰として誰といるのか、という意味で使っています。
つまりその人の、過去の経験・現在の状況・未来見据えているものと
いま現時点においてどんなシチュエーションで誰として誰といるのか
このクロスしている交点において、その人が「確かにそうだ」と思えることが
”正解”と言えるのではないか?と。
どれぐらい伝わったでしょうか?
長くなったので、次回につなげます。
時間軸の観点がアドラー心理学でいう所の《認知論》
空間軸の観点がアドラー心理学でいう所の《人間関係論》
とも置き換えられる…
ここまで書くと文字ではなくて直接お話ししたくなりますね(笑)。