ー前回の内容ー
勇気づけシリーズ
⑤他人と比較せず成長を重視する
ー今回の内容ー
勇気づけシリーズ
⑥あなたが判断しない
アドラー心理学の有名な研究者の1人である野田俊作のこの本
「アドラー心理学を語る4勇気づけの方法」
今日もこの本に書かれていた10個の関わりについて書いていきます。
今日は6つ目です。
*****
⑥
相手に判断をゆだねる
「あなたはどう思う?」
「一番イイと思うようにすればいいんだよ」
↑
↓
こちらが善悪良否を判断する
「それは良くないからこうしたほうがいいよ」
「ココは良くできてるけどコッチは良くない、ダメだ」
*****
これ、普通にやりがちですよね。「こうしたほうがいいよー」って。
コレがなんでよくないのか分かりますか?
ココが良い/悪い
これは素晴らしい/もっとこうしたほうが良い
こういうコメントは、もしあなたが声を掛ける側だとしたら
「あなたの判断基準で良いか悪いかを判断してその考えを相手に押し付ける」
という行為なのです。
ほとんどの場合は、コチラ側の判断基準で良い悪いと言ってみたり
褒めたり叱ったりしてみたり…
言う側としては「当たり前のこと」「そういうもんだから」
といういわゆる”常識”かもしれませんが
言われる側だとしたら
あなたの判断基準に合ってるかどうか
顔色を伺いながら日々行動する
もしくは
自分の考え云々じゃなくて、あなたの押しつけに毎度反発する
ということがしたくなるかもしれませんね。
これは主体性に乏しい。
幼いときは特に「こちらが善悪良否を判断する」という関わりが多いかもしれません。
そして、
親⇒子、とか
先生⇒生徒、とか
親や先生の立場であれば、言い方がすごい極端で少々うがった見方かもしれませんが
「ラクに相手をコントロールできる」
その手段として大人が善悪良否を判断して諭す、ということをしがちかもしれませんね。
—–
コレも繰り返しますが”勇気くじき”とされている関わりが一概にNGということでは
全くありませんよ。時と場合によって使い分けてくださいね。
—–
しかしそれだと、
自らの意志で未来を切り拓こうとするチカラ
はどんどん欠落していきます。
相手の判断基準ではなくて
自分の判断基準に基づいて
主体的に行動することを支援する。
そういうことをしたいのであれば
・あらゆる判断基準はその人の中にあり
・その判断基準に基づいて行動することを推奨する
という関わりをしたいのです。
なので
「ここは良かったけどここはコレだと良くないな。
だからこうしたほうが良いよ。まぁ今回のはせいぜい60点だね」
という感じではなく
「良く頑張ったね。自分自身ではどの部分が良かったと思っている?
そっか、じゃあ自己採点は何点ぐらいかな。なるほど、いいね!
じゃあ、あと5点でも10点でもあげるとしたらどうしたい?
うん、いいね!じゃあそうやってみようね」
という感じで
相手の主体性に任せ
相手の主体性を引き出し
相手の主体性に任す
という関わりをするのはどうでしょうか?
というのが
⑥
相手に判断をゆだねる
↑
↓
こちらが善悪良否を判断する
でお伝えしたかったことです。
もしよかったら今日1日は
一度自分の判断軸をわきに置いて、相手の判断理由を聞いて相手に判断を促しながら
勇気づけする…ということを意識して過ごしてみてくださいませ。
誰か自分ではない人に判断基準を持ってしまうと
・周りの目ばかり気にする
・何を思われたり言われたりするかビクビクする
・自分の判断軸に気づかない
そんな人になってしまいます。
例えば、小学生なのに遠足に持っていくお菓子を決められず
一緒に買いに行った
Aくんが買ったxというお菓子と
Bくんが買ったyというお菓子と
Cくんが買ったzというお菓子を
買うだけという子に…
相手の善悪良否を意識しすぎると、善悪良否を突き付けられた時に
その言い分例えば、誰か違う友達に
「なんでxなんて持ってきてるのー?」
と言われたときに
「だって、Aくんも持ってきてるよ」
と言えばいいな、と思うということまで考えるような状態になってしまうかもしれません。
あ、これ僕の小学校4年生の時の姿(苦笑)
誰に何て言われるか、周りからどう思われるか
4年生にしてすごく気にしてたんだよなー。
いまなら思いますよ、遠足のお菓子ぐらい自分の好きなヤツを持っていけばいいのにってね。