地元を裏切ったという想い。そして…

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今日はいつもとテイストを変えて
ちょっとだけ僕個人の地元の話をしていきます。

 

生まれは愛知県稲沢市というところですが、その後すぐに高知へ。
その後、姫路→東大阪から両親の地元でもある愛知に戻ってきました。
それが幼稚園の年長のたしか夏休み明けあたり。

 

そこから大学卒業するまで愛知県海部郡(現:あま市)の七宝町というところで1999年まで過ごしました。(今でも実家は愛知にあります)

 

卒業後は、NTTソフトウェアという当時横浜の関内に本社があった会社に就職したのですが、実はもともと地元愛知の某都銀系列から内定を頂いていました。
めちゃくちゃ熱心にお誘いいただき、人事の方もとてもいい人で、ほぼほぼ決めていた状況からNTTソフトに鞍替えした感じでした。

 

時は流れ、2008年。

 

かのリーマン・ショックがあった年の年末。
何の予定だったか忘れましたが、夕方ぐらいにトヨタ自動車のお膝元である愛知県豊田市を車で走っていました。

 

当時リーマン・ショックと知っていたものの、NTTソフトからITコンサルベンチャーに
転職していた僕はそのあおりは特になく、むしろIT業界は人件費削減をサポートするシステム化の案件で潤っていて人をどんどん採用してました。なので世界の出来事は対岸の火事を見ているような感じでいました。

 

ところが豊田市を車で走った時に衝撃を受けました。

 

人 が 全 然 い な い

光 が 全 然  な  い

車 が 走 っ て な い

 

 

愛知県の、ひいては日本の経済を支えていると言っても過言じゃないトヨタのお膝元。
いつもなら活気があり、人がいて車がいっぱい走っていて明るいのに…
初めてそれほど愛知が、日本がダメージを受けていることに気づきました。

 

そして、僕の大学の友達の多くがトヨタやトヨタ系列に就職してたので、その時初めて
友達の職場の状況に少しだけ想いを馳せることができました。

 

なぜかこの2つの出来事は僕の中に強く印象づいていて、

 

「愛知を裏切った」そして
「いつか恩返しを」

 

というカタチで、心の中にいます。
…僕は、愛知でも仕事をしたいなと、その時から思い続けています。
まずは月3日ぐらい。いずれは2週間に3日とか、1週間に3日とか。

 

愛知がもっと元気になることに関わっていきたいなと思っています。