『勇気づけ』という違和感

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こんにちは、あきなりです。

 

今日は「勇気付け」についてちょっと書いて行きたいと思います。

 

《勇気づけ》とは、困難を克服するチカラを与えることを示し、アドラー心理学のベースでもあり コーチング業界にいる人は何度も聞いているだろうから、標準語というか常識語というか疑う余地もない単語かと思います。 アドラー心理学は別名「勇気づけの心理学」といわれるぐらい、この学問における肝になります。 encourageの和訳が勇気づける、なので大事にしたいですし、これからも大事にしていきます。

 

ですが僕は、「勇気」+「つける」という表現がどうもしっくりこないんです。 AさんがBさんを勇気づける、というと、Aさんの関わりとか言葉がけとかを通して、Bさんの 「外」にあるモノをペタッと付けるっていうイメージになっちゃうんです。 僕のイメージだとBさんにはもともと100点満点の勇気があって、たまたま今の状態だとその勇気の点数が下がってしまい、本来ある点数が消滅してしまっている感じなんです。 そんなBさんに対してAさんが関わることで、勇気度数がぐぐぐーんと上がっていって、100点満点に近づいていく、そんなイメージなのです。 さらに実は100の上にも潜在的にはメモリがあって、良い関わりだと100点を越えて、さらにドンドン点数上がっていくそんなイメージなのです。 なので「勇気づけ」というよりは、どちらかというと「勇気きづき」なのです。

 

もともとあるんですよ、勇気は。 ちょっとたまたま、この状況だと気づけていない状態なだけで。 違和感があるとは言いましたが、「勇気づけ」という単語は変わらず使いますし、今後も変わらず大事にしますが、僕の中のイメージではその人の中にもともとある勇気に気づいてもらうという文脈で、勇気のスイッチをパチパチ押していく関りをしていきたいと思っています。