事実と真実

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今日はふと、ある本に書かれていた内容を思い出しましたので、そちらをご紹介したいと思います。
 
=ビジネス寓話50選より=
 
【暗闇のなかの象】
 ある村に1頭の象を連れたインド人の一行が訪れた。
 象など見たこともない異国の人々の見世物にしようとしたのだ。
 
 村の片隅の暗い小屋に象はおとなしくつながれていた。
 やがて象の噂を聞きつけて、村の人々が小屋を訪れた。
 
 だが小屋には明かりがなく、はっきり見えなかったので、
 人々はおそるおそる象に触れそれを確かめた。
 
 ある人は象の鼻に触れ
 「象とはまるで水道管みたいな生き物だ」と言った。
 
 別の人は耳に触れて
 「水道管?いやいや扇のような生き物のはずだ」と言った。
 
 また別のある人は脚に触れて
 「いや、柱みたいな生き物だよ、象は」と言う。
 
 さらに別の人は背中に触れて
 「みんな違う。象は王座のような生き物だ」と言う。
 
 
 小屋を出ても人々は言い合ったがその日のうちには結論を見ることはなかった。
 もしも小屋に蝋燭の明かりがあったならこのような言葉の違いも生じなかっただろう。
 

 
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本の中ではこの物語の教えとして、【芯となるコンセプトを持つ】ということを伝えており、企業のセクショナリズムやブランドを形づくる際のものの考え方、プレゼンテーションの技術などにあてはめられると書いてくれています。
 
たしかに《細部》と《全体》という観点で見ると、 一部だけを見ても全体把握できないということを示唆してくれています。
 
そういうことに加えて、僕はもうちょっと手前の《事実》と《真実》という観点でもとても分かりやすい
お話だなと感じました。それぞれの人のコメントは誰が正しいとかはなく、むしろみんな正しい。
この経験をもとに「お前は間違っている」「いや、お前が違う」と言い合うのはなんとも不毛な時間ではないか、と。
 
 
〈事実〉象がいる
〈真実〉水道管のような生き物だ。扇のような生き物だ。柱のような生き物だ。台座のような生き物だ。
 
 
違って当然ですよね。(客観的)事実は1つですが、真実は1人ひとり違う。
そして、文末に『もしも小屋に蝋燭の明かりがあったなら』とありますが…
 
さて蝋燭の明かりがあったとして、同じ「真実」に辿りついたかどうか?
これまた受け取り手によって違うことが起こるかもしれませんよね。
 
 
凶暴そう、今まで見た中で一番大きい、動きが遅い、3人乗れるかな、かわいらしい…
同じものを見ても受け取り方はやっぱり1人ひとり違うし、自分が受け取ったことだけ
をもとにお話したらかみ合わないだろうし、自分は正しい相手は間違っていると思っていたら
議論は平行線でしょうね。
 
 
<違う>という前提で、どうしてそう思うのか、どうしてそう考えたのかどうしてそう捉えたのかに興味を持って聞いてみると、思いもよらない「その人の特徴」が見えるかもしれません。
実際この物語を読んで本の著者と僕とでは受け取り方が違ったし、もしかしたらあなたもまた違うメッセージを受け取ったかもしれませんね。
今日はここまで。またブログを書きます。